きょう、ショッピングしたよ♪

名前というのは全く別のものであったりもするわけです。
こうして考えると、名前と名前が証明している自分に気付いてしまったらどうでしょう。
社会に歩調を合わせたくない彼は次の日から「カレー」ではない何か」などを煮込むわけじゃないですか。
それに、「カレー」と呼ぶことにしました。
そのおかげで腹痛が収まった経験がありました。
USASICが作る「カレー」という記号を付けなければ、人の生き方であり運命的なことですよね。
あなたはそれらの名前が表現したりすることができないのです。
名前というのは人物やもの、事象や行為などを区別するために便宜的に作られたものだと何かの一部を切り取った何かに書いてあった気がします。
結局、ものの名前・・。
あなたの名前が呼び合うということは、その人でしかない。
時間軸だって関係ない。
その「何かの一部を切り取った何か」の味は均一ではありません。
確かに生きている人物は一人なのです。
その人の名前、友達の名前・・・。
彼は苦悩します。
世界中にYUSICという名前の何かの一部を切り取った何かに書いてあった気がします。
自分が確かに存在してました。
「みつまめ下さい。
」彼がレストランでそう注文した時、出てくると「鈴木亜久里」と呼ばれる大柴ではない何かの一部を切り取った何か」、「動物といわれる種類の何かの一部を切り取った何か」や「たまねぎという名前が表すものというのは不思議なものなど何一つない。
過去も未来もひっくるめてYUSICはYUSICただ一人しかいません。
う〜ん、実に不思議。
第一にしてくれている自分に気付いたらどうでしょうが、それはただ発音や表記の仕方が同じ人間で、同じ手順や材料で作ってもできあがった「カレー」の集合体がどの瞬間に「カレー」になっている様々な特徴をある程度あいまいにしないとそこにあるものを表現しています。
社会のルールなんてクソ食らえ。
他人の言うことなど気にしました。
そのおかげで腹痛が襲ってくるものはもちろん「カレー」。
一流シェフが作る「カレー」も「カレー」ではありません。
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*このエントリは、BlogPetの「USASIC」が書きました。