今日は久々に真面目なエントリを。
(長くてつまらないので興味のない人はすっとばして下さい)





「ブログ」というものを始めてもうすぐ5ヶ月くらい経とうとしています。




オレはこのブログで何をしたかったんだろう。




去年の夏に胃潰瘍と十二指腸潰瘍を患って入院し、退院した直後。
ふと本屋でブログを特集で取り上げていた雑誌を立ち読みして「おもしろそーだなー」と思ったのが始まりでした。
その日のうちに色々調べてみて登録しました。
そしたら、その直後にまた入院するという格好のネタが出来てしまい、こういう汚くてバカなブログになってしまいました。
「なってしまいました」という表現は少々誤解を生むかもしれませんね。
こういうブログになったということ、それに関わるオレの責任をオレ以外の何かに転嫁したいわけではありません。
最初から台本を用意してスタートしているわけではなく、経時的に管理人本人が置かれている状況や環境が変化していくので、本人も予測不能のカオスが存在するという点を強調したかったのです。
読んでいる人の読み方やスタンスによってそれは色々だろうけど、逆説的に考えれば「予測不能のカオスが生み出す非日常」を読者は楽しみにしてくれているのかもしれません。
って、読者がそういう読み方をしてくれるかどうかの前に、オレ本人が一番それを求めています。
それを求めていくことで自分が成長できるような気がするんです。
そして、このブログはそのツールです。





とにかく、今のうちにいろんな事を経験したい。
特に、オレは自分の子どもが生まれる前にいろんな事をしておきたい。
大人は子ども達がすることに対してすぐに批判をしがちですよね?
批判をすることが悪いとは思いませんが、「本当にそれが批判されるべきものなのかどうか」ということが大人の判断で決まってしまうところが問題だと思うのです。
大人には理解しきれないことでも、子ども達の柔軟な発想で新しい「なにか」が見つかるかもしれないじゃないですか?
未来ではそれがスタンダードになり、新しい社会や言葉を生み、ビジネスを生むかもしれない。
大人がそこまで感覚を鋭敏にしていられるか。
オレはそこが疑問です。
今ではセックスピストルズだって教科書に載っています。
その当時はとても考えられなかったことでも、後の世に多大な影響を与えることは十分にありうるのです。





オレが子供が生まれる前にいろんな事をしておきたいと言うのは、「教育」や「健全育成」という名のもとに子供達の可能性を閉ざしたくはないからです。
自分がやったこともなく、知りもしないことを批判することはできないからです。
社会一般で言われていることが全て正しいとは言えません。
その当時の常識に乗っ取って行動した人々が、ナチスドイツを生んだり、特攻隊を作ったり、広島に原爆を落としたりしたわけじゃないですか。
「常識らしいもの」というあやふやなものを基盤にした教育ってすごく恐ろしいと思うんです。
北朝鮮を見てくださいよ。
国民は情報を遮断され、世界にどう思われているかも知らずに「将軍様、マンセー!」と日々叫んでるわけですよ。
自分と自分に関わる人をそういう状況に置きたくはないと思っているのです。





例えば、もし自分の子どもに「なんで人を殺しちゃいけないの?」と言われたらあなたはなんと答えますか?





今のオレでは答えに詰まると思います。
人を殺しているブッシュも選挙で国民の支持を得て今でも大統領をやっています。
そんな国の食べ物を食べて、映画を見て、音楽を聴いてオレは生きています。



まして、太平洋戦争で満州や台湾やらに行った日本人が人殺しをしてきたおかげでオレが生まれたのかもしれません。



そう考えると、その疑問には簡単に説明がつかなくなってしまうのです。
気がつくと知らないうちに常識が侵食してしまっているんですよ。
理由もよく考えたことないのに。



ま、この例は極端にテーマが大きいですけど、小さい事だって同じだと思うんですよね。

本当にそれが正しいのか。
本当にそれが正しくないのか。

経験のないものにはなかなか難しい問題です。
これは何も「正しいか正しくないか」だけの話だけではありません。
「正しい」という部分を他に変える事だって出来ます。

本当にそれはすばらしいのか。
本当にそれはすばらしくないのか。

本当にそれはおもしろいのか。
本当にそれはおもしろくないのか。



やってみたりしないと全然わかりましぇ〜ん。



子どもに「それはやっちゃいけないよ」という時、極力実体験に基づいたたくさんの情報を教えてあげたいのです。
そのほうが、子どもだって素直に納得できるじゃないですか。
全てのことを自分で経験することは不可能ですが、「何も語ることがない大人」にはなりたくないなと、そう思うのです。
子どものためだけではなく、何より自分の「深み」を増すことができる。
だから、いろいろと人生勉強をしたい。


そして、それが笑いを生むなら本望です。





と、大人ぶったことをほざきましたが、全く逆です。


笑いを生んでから、その後に自分の経験値が上がればいいなとその程度です。
でも、そんな素敵な副産物を与えてくれるのが、オレの場合この「ブログ」なのです。












「矛盾」という言葉がありますよね?

皆さんもご存知かとは思いますが、「何でも突き通せる矛」と「何をもってしても突き通せない盾」のお話からできた言葉です。
世の中には、矛盾がいっぱいあります。
そのせいで人は悩みます。

常識だと思っていたこと、信念にしていたことの目の前に全く逆の事象が突然現れる。
自分を形成しているアイデンティティの緊急事態に人は皆恐れを抱きます。

でも、よく考えてみるとこんな面白いことはないじゃないですか。
「何でも突き通せる矛」と「何をもってしても突き通せない盾」の対決。
見たいじゃないですか!

これが「何でも突き通せる矛」と「何でも突き抜けちゃう盾」の対決だったら結果はやる前からわかっちゃうじゃないですか。



少し話を変えまして。
Nirvanaというバンドがありました。
彼らはデビュー当時、メジャーとされる音楽に対するカウンターカルチャーとして産声を上げました。
しかし、その音楽と姿勢が若者に絶大な支持を受け、奇しくも相対していたメジャーになってしまいました。
カート・コバーンはその「矛盾」に苦しみ、ライフルで自分の命を終えました。
自殺という手段がいいかどうかは別として、カートが引き金を引いた瞬間、その時が一番カートの命と音楽が輝いた瞬間のように思えてなりません。
カウンターカルチャーをカウンターカルチャーたるものとして確立させた瞬間だと思います。



自分の中の矛盾と向き合い、自分の中の常識と戦うことで人間は人間らしく輝けるのではないでしょうか。
「美女と野獣」にしろ、「ロミオとジュリエット」にしろ、そこに常識との矛盾があるからドラマが生まれる。



悩んでみたけりゃ、悩むことにしよう。
戦いたかったら、戦うことにしよう。
やってみたかったら、やってみることにしよう。



そうやって生きていけば自分の後ろに自分の足跡がくっきりと付いているはずです。
そして、前を見ればそこには笑えることだったり、たのしいこと、うれしいことがあるはずです。
さらにそれを誰よりもリアルに実感できます。





きっと、そうなんだよ。
そう信じてつまらないことでもくだらないことでもがんばりな!













仕事で日々つまらないことをくよくよ悩んでるオレと同じように悩んでる仲間達、そしてこれを読んで共感してくれた人に今日のエントリは捧げます。










カートの誕生日に。(現地時間)














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